豊臣兄弟!第7話「決死の築城作戦」解説

第7話解説

前野長康はなぜ織田家の家臣として登場したのか

豊臣兄弟第7話「決死の築城作戦」が放送されました。
今回は墨俣砦の築城に向けた交渉が中心となり、蜂須賀正勝や前野長康が登場しました。

中でも気になったのは、前野長康の立ち位置です。
ドラマでは織田家の家臣として登場しましたが、史実ではこの時点でまだ信長の家臣ではありません。
ではなぜドラマでは設定が変更されたのでしょうか。


川並衆と蜂須賀正勝

今回、墨俣砦を築くために秀吉たちは川を利用する作戦を立て、国境の川を治める「川並衆」の棟梁・蜂須賀正勝に交渉します。

史実でも、蜂須賀正勝や前野長康が墨俣築城に協力したとされています。
また正勝は盗賊の頭のような人物として語られることが多いですが、実際には知略に長けた人物だったとも言われています。

ドラマでは荒々しい盗賊風の姿で、人情に動かされるキャラクターとして描かれていましたね。


前野長康は本当に織田家の家臣だったのか

そして登場した前野長康。
ドラマではすでに織田家の家臣として登場しました。

しかし史実では、長康はこの時点でまだ織田家の正式な家臣ではなく、川並衆として活動していた人物です。
のちに蜂須賀正勝とともに秀吉に仕えることになりますが、信長の直臣だったわけではありません。

つまりドラマの描写は史実とは少し違っています。

ではなぜ変更されたのでしょうか。

おそらく、

・蜂須賀との交渉を分かりやすくするため
・登場人物の関係性を整理するため
・秀吉の人脈を早めに示すため

といった理由が考えられます。

ドラマとしての分かりやすさを優先した演出だったのでしょう。


聖人のような長康の描写

今回の長康は、秀吉に悪者に仕立てられたり、水に突き落とされたりしても怒らない、まるで聖人のような人物として描かれていました。

史実では秀長が亡くなった後も秀吉を支え続けますが、最終的には秀次事件で自害します。
こうした最期を考えると、実際の長康も真面目で実直な人物だった可能性は高そうです。

ドラマの人物像も、あながち間違いではないのかもしれません。


秀長の失敗も描かれた回

今回もう一つ印象的だったのは、秀長の失敗です。

直のことで気を取られ、蜂須賀との交渉の場で上の空になり、秀吉に叱責されてしまいました。

史実でも秀長は失敗をしたことがあり、例えば賤ケ岳の戦いでは秀吉方の中川清秀を見殺しにする形で討ち死にさせてしまい、秀吉に叱責されています。

また、秀長の家臣が金を着服した際にも強く怒られ、年頭の挨拶で対面させてもらえなかったという記録もあります。
兄弟とはいえ、秀吉は秀長に対して甘く接することはなかったのでしょう。

ドラマでも同様に厳しく接しており、史実の関係性に近い描写だったように感じました。


名前の話 ― 長秀か秀長か

もう一つ気になったのが名前の話です。

ドラマでは、藤吉郎が信長から「秀」の字をもらった際、小一郎も「長」をもらって長秀になったと説明されていました。

織田家では、信長の「長」の字を勝手に名乗ることはできません。
また長秀と秀長のどちらを名乗るかは、秀吉の戦略とも言われています。

「秀」を上に置くか「長」を上に置くか。
このあたりも、今後のドラマでどう描かれるのか気になるポイントです。


次回はいよいよ墨俣一夜城

次回はいよいよ墨俣一夜城の築城です。

信長が美濃の斎藤氏を攻めるにあたり、墨俣に砦を築く必要がありましたが、敵前のため何度も失敗していました。
そこで秀吉が一夜にして城を築いたという伝説が生まれます。

実際には事前準備があったとも言われていますが、この有名な逸話をドラマではどのように描くのか。
次回の放送も楽しみですね。

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