4-④ 日本の植民地支配の広がりをわかりやすく解説|台湾・朝鮮・満州までの流れを整理

4-④ 日本の植民地支配の広がり

台湾統治・韓国併合・南満州利権の拡大──帝国政策と経済的利権の結びつきを整理します。

要点

  • 台湾統治の強化(樺山資紀、後藤新平の民政整備)
  • 韓国の保護国化と1910年の韓国併合(朝鮮総督府の設置)
  • 南満州利権の拡大(関東州・満鉄の設立)
  • 軍事・経済・行政の一体化を目指す帝国政策と抵抗運動

1. 台湾統治の強化

日清戦争で台湾を獲得した日本は、台湾総督に陸海軍大将(初代:樺山資紀かばやますけのり)を任命し、 台湾軍を指揮して漢人や先住民の反抗を鎮圧しつつ統治を確立しました。 当初は武力と治安維持が中心でしたが、のちに後藤新平などの民政による土地調査・インフラ整備・産業振興が進められ、 台湾銀行・台湾製糖会社などの基盤が整えられていきました。

これにより、日本の資本(財閥)は精糖・塩・樟脳しょうのう・煙草などで利益を得るようになりました。

子たぬき
子たぬき

樟脳ってなに…あやしい

解説たぬき
解説たぬき

いやいや、怪しい薬じゃないぞ。クスノキからとれる防虫剤や芳香剤になるものじゃ

2. 韓国の保護国化と韓国併合(朝鮮支配)

第2次日英同盟の成立など国際環境の変化を背景に、日本は韓国に対する影響力を強めました。 1905年(第2次日韓協約)で韓国の外交権を奪い保護国化し、漢城(ソウル)に統監府を設置、伊藤博文いとうひろふみが初代統監となりました。

抵抗(義兵運動)や内外の政治変動を経て、1910年8月に韓国併合が実施され、統監府は朝鮮総督府に改組されました。 初代総督には寺内正毅てらうちまさたけが就任し、総督は天皇直属で立法・行政・司法・軍事の権限を掌握する統治体制(憲兵政治)が敷かれました。

併合後も朝鮮の抵抗と反日闘争は続きました。

3. 南満州利権の拡大(関東州・満鉄)

日露戦争で得た遼東半島の租借地(旅順りょじゅん大連だいれん)は「関東州」と名付けられ、1906年に関東都督府が設置されました。 同年、ロシアから継承した鉄道経営を基盤に、半官半民の南満州鉄道株式会社(満鉄)が設立され、 鉄道経営・鉱山開発・資源採掘を通じて日本資本の利権が拡大しました。初代満鉄総裁には後藤新平ごとうしんぺいが就任しました。

南満州の支配は、満州進出を望む英米との利害対立を招き、また米国では日本人移民排斥運動を引き起こすなど国際的摩擦も生じました。

子たぬき
子たぬき

あっちもこっちもギスギスしてる…

解説たぬき
解説たぬき

満鉄は太平洋戦争終戦後に解体されたぞ

4. 帝国政策の特徴と影響

帝国主義とは、国家が領土や勢力圏を拡大し、国際市場と資本の支配を目指す傾向を指します。 日本は軍事力・行政機構・独占資本を結びつけることで、植民地経営と利権確保を進めました。 台湾・朝鮮・満州での統治は、軍事的抑圧と経済的収奪が結びついた典型的な帝国主義的運用でした。

子たぬき
子たぬき

日本の快進撃がすごい

年表(簡易)

  • 1895年:日清戦争後、台湾を割譲
  • 1905年:第2次日韓協約(韓国の保護国化)
  • 1906年:関東都督府の設置・満鉄設立(満鉄:南満州鉄道株式会社)
  • 1910年:韓国併合(朝鮮総督府の発足)

確認問題(復習用)

  1. 台湾統治の初期と民政段階での差異を説明せよ。
  2. 第2次日韓協約が日本の韓国支配に与えた影響を述べよ。
  3. 満鉄の役割と南満州支配が日本にもたらした利点・問題点を挙げよ。

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