政党政治と普通選挙運動
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1890年に第1回帝国議会が開かれ、初年度予算の審議が行われました。山県有朋は施政方針演説で、国土を守る「主権線」だけでなく、朝鮮半島を「利益線」として防衛する必要を主張し、陸海軍費を増やした予算案を提出しました。

主権線は自国の国土の境界線のことで、利益線は自国の安全保障にとって重要な、国境から離れた地域の境界線のことじゃ
これに対して民党は「政費の節減」を要求し、両者は激しく対立しました。第1議会では予算成立のめどが立たず、政府は議員の買収によって予算を成立させました。

話題の政治とカネの問題だあ
山県内閣の後に成立した松方正義内閣でも対立は続きました。その中で田中正造が足尾銅山鉱毒事件を追及し、産業発展と環境破壊の問題が社会に認識されるきっかけとなりました。
初の政党内閣の成立とその限界
第1次大隈重信内閣は「初の政党内閣」と呼ばれ、陸海軍大臣以外の閣僚を憲政党から選出しました。政党内閣とは、選挙で多数をしめた政党が内閣を組織する仕組みです。
しかし、憲政党は藩閥政府に対抗するために結成された政党であったため、政党内部で対立が起こり、政党内閣は短期間で崩壊しました。

内部崩壊しちゃった。連合野党だったってことかな
大正政変と大正デモクラシーの始まり
1913年の大正政変では、民衆の抗議運動によって内閣が退陣しました。これは「民衆が政治に影響を与えられる」という意識を高め、以後、民衆運動が活発化します。この政治意識の高まりは「大正デモクラシー」と呼ばれます。

国民の性意識が高まるのはいいことだよね?
本格的政党内閣と普通選挙運動
原敬内閣は「本格的政党内閣」となり、陸海軍・外務大臣以外の閣僚を立憲政友会から任命しました。この頃、「納税額による選挙権資格を廃止し、すべての男子に選挙権を与えるべきだ」という普通選挙運動が広がりましたが、政府は選挙権資格を「納税3円以上」に引き下げるにとどめました。

女子は?

女性の参政権運動は後の別の運動で行われるのじゃよ
普通選挙法と治安維持法
加藤高明内閣が護憲三派により成立すると、満25歳以上の全ての男性に選挙権を与える普通選挙法が成立しました。
しかし同時に、社会主義者や無政府主義者などの反政府運動を取り締まる治安維持法も制定され、思想や運動に対する統制が強化されました。

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参考文献
- 一度読んだら忘れない日本史の教科書(山崎圭一)
- 大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)



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