自由民権運動と立憲国家の確立
板垣退助らの自由民権運動から大日本帝国憲法による立憲体制成立までを整理
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要点まとめ

- 板垣退助らが愛国公党を結成し、国会開設(民選議院設立)を要求した。
- 政府は「時期尚早」として要求を退けたが、自由民権思想は全国に拡がった。
- 大日本帝国憲法の下、天皇大権と両院制(貴族院・衆議院)による立憲体制が成立した。
板垣退助と自由民権運動
板垣退助らは政府を離れ、日本初の政治結社である愛国公党を結成しました。彼らは 民選議院設立の建白書を政府に提出し、国会開設を強く求めました。

政治結社は政党とは違って政治権力への参加を直接の目的としないで、政治に影響を及ぼすことを目的とする団体も含まれるのじゃ
板垣は明治政府の政治を「有司専制」(特定の出身藩に属する上級官僚だけが政治を行う)と批判し、 「税を負担する者に代表を選ぶ権利がある」と主張しました。土佐の立志社、大阪の愛国社などを通じて 自由民権思想は広がっていきます。
政府の対応とその理由
明治政府は、廃藩置県・地租改正・徴兵令などの大改革を短期間に実行して社会を大きく変えていました。 そのため、自由な議論を許せば民衆の不満が一気に噴出して秩序が乱れることを恐れ、国会開設の要求を 「時期尚早」として退けました。
大日本帝国憲法と立憲体制
大日本帝国憲法が公布されると、政治機構が制度化され、天皇中心の立憲体制が整えられました。 天皇には官僚の任免権や陸海軍の統帥権、宣戦布告や条約締結といった強い権限(いわゆる天皇大権)が与えられました。

立憲政治は憲法によって国家権力が制限され、国民の自由と権利が保障される政治体制のことじゃ
帝国議会は二院制を採用しました。上院に当たる貴族院は皇族・華族・勅任議員などで構成され、 下院に当たる衆議院は選挙で選ばれた議員で構成されました。議会は天皇の政治を補佐・協賛する機関と位置づけられ、 法律・予算の議決を通じて国家運営に参加しました。

今は衆議院と参議院の二院制だね
重要語句
愛国公党 板垣退助らが結成した政治結社。国会開設を政府に要求した。
有司専制 限られた高級官僚だけが政治を行う体制を批判する語。
民選議院設立の建白書 選挙で選ばれる議会(国会)の設置を政府に願い出る文書。
天皇大権 陸海軍の統帥、条約締結、官吏任免など、天皇が持つ強い権能。
貴族院・衆議院 二院制の上院と下院。貴族院は皇族など、衆議院は選挙で選ばれる議員。

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参考文献
- 一度読んだら忘れない日本史の教科書(山崎圭一)
- 大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)



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