文明開化と富国強兵(内政・産業政策)
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明治時代初期、新政府は民衆に「国家の一員=国民」という意識を持たせ、近代国家として統合を進める必要がありました。そのため、教育制度の整備が重視されました。
1871年に文部省が設置され、1872年には 学制 が公布されます。これは、フランスの学区制を参考にしたもので、全国を8つの大学区に分け、さらに中学校区・小学校区を細かく設定し、小学校を全国に普及させることを目指しました。

小学校の設立費用は民衆負担じゃったから、反対一揆が起こったんじゃ
しかし、この制度は地方の負担が大きく、実施には困難も伴いました。そのため、のちに 教育令 が公布され、学区制は廃止され、各地域の実情に合わせた学校運営が可能となりました。
殖産興業と鉄道整備
明治初期の産業政策では、官営事業 を中心に産業の基盤整備が進められました。1872年に開通した 新橋〜横浜間の官営鉄道 は次第に延伸され、1889年には 東京〜神戸間の東海道線が全通 します。
一方、民間鉄道では、華族に支給された「金禄公債」 を資本として設立された 日本鉄道会社 が東北方面に路線を拡大し、民営鉄道ブーム を牽引しました。
しかし、日露戦争後は軍事輸送の効率化が求められ、1906年に 鉄道国有法 が制定されます。これにより、日本鉄道会社をはじめとする私鉄の多くが国有化され、交通網が統一され、長距離輸送が便利になりました。

産業革命と一緒で、経済発展に交通は欠かせないもんね
製糸業の発展と輸出拡大
明治初期には、手作業の 座繰製糸 が中心でしたが、1872年に群馬県に 富岡製糸場 が設置され、フランス式の 器械製糸 が導入されました。
その後、器械製糸は全国に普及し、日清戦争の頃には器械製糸の生産量が座繰製糸を上回ります。 日露戦争後には輸出がさらに増加し、1909年には日本は清を追い越し、世界最大の生糸輸出国 となりました。

富岡製糸場では主要生糸生産国であるフランスやイタリアの2倍以上の生糸をつくっておったぞ
ここがポイント(まとめ)
- 教育の近代化 → 学制(1872) → のち 教育令
- 交通整備 → 東海道線全通(1889) → 鉄道国有法(1906)
- 製糸業の発展 → 富岡製糸場(1872) → 生糸が日本の主要輸出品に

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参考文献
大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)



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