豊臣兄弟 第9話「竹中半兵衛という男」史実解説|三顧の礼と稲葉山城乗っ取りの真相

第9話解説

豊臣兄弟第9話「竹中半兵衛という男」が放送されました。
今回は竹中半兵衛への勧誘と、稲葉山城の攻略が描かれました。


竹中半兵衛の過去

竹中半兵衛の登場は、美濃の山奥の庵で暮らしている場面から始まります。

なぜこのような山奥で暮らしているのか。
ドラマでははっきりとは描かれていませんでしたが、実は過去に斎藤龍興の居城「稲葉山城」から龍興を追い出し、城を乗っ取ったことがあるためだといわれています。

なぜこのような行動に出たのかについては、堕落した斎藤龍興を諫めるためだったともいわれていますが、諸説あり真相ははっきりしていません。

城は結局半年ほどで龍興に返し、その後しばらく隠棲したとされています。


秀吉の三顧の礼

史実では、竹中半兵衛は三顧の礼と称して三度訪ねてきた豊臣秀吉に感激し、織田信長に直接仕えることは断りますが、豊臣秀吉の与力になることを了承します。

ドラマでも三顧の礼が描かれていましたが、これは半兵衛の優秀さを際立たせるための後世の創作といわれています。

史実ではその後、軍師として数々の戦いに参加し、豊臣秀吉を支える存在となります。

「戦わずして勝つ」といわれる知略が、今後どのように描かれるのか楽しみですね。


稲葉山城の攻略

そして、稲葉山城の攻略です。

ドラマでは斎藤龍興は苦戦すると一人で逃げ出そうとするなど、家臣の進言にも耳を貸さない傍若無人な人物として描かれていました。

しかし史実では、織田信長が本格的に美濃攻めを開始した頃、斎藤龍興の父である斎藤義龍が急死します。
その後を継いだ龍興は、わずか14歳だったといわれています。

そのため実際には、幼い龍興を家老衆が支える体制がとられていました。

それでも信長が龍興を相手に美濃攻略に6年以上費やしたといわれていることから、この体制はかなり強固だったと考えられます。

もし義龍が生きていれば、美濃攻略はまったく違った展開になっていた可能性もあります。


斎藤龍興のその後

今回、龍興は織田信長から逃れましたが、史実でも稲葉山城落城後は伊勢、堺、近江、越前などを転々とします。

その後も美濃への復帰を狙い、武田信玄の美濃侵攻に合わせて国内に砦を築き、信長を苦しめたこともあったといわれています。

今回の描写を見る限り、ドラマでも再登場する可能性がありそうですね。


次回はいよいよ信長上洛

次回は織田信長の上洛と、お市の婚礼が描かれます。
ついに明智光秀も登場します。

信長の上洛には、敵対勢力である三好三人衆の妨害もあり、簡単には進みません。

信長は足利義昭とともに無事上洛を果たすことができるのでしょうか。
次回の放送も楽しみですね。

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