開戦の経緯・戦局の流れ・下関条約の内容と三国干渉、台湾の植民地化までを整理します

なぜ日清戦争が起きたか
1894年、朝鮮半島での内乱と列強の利害が重なり、日本と清(中国)の対立は深まっていきました。 日本は朝鮮の独立と自国の安全確保を主張し、朝鮮国内の政変介入や軍事行動を続けた結果、日清戦争に発展しました。
1. 開戦から戦局の流れ
1894年7月、日本は朝鮮政府に最後通牒を突きつけた後、23日に朝鮮王宮を占領して閔氏一族を排除しました。 その直後、日本海軍は豊島沖で清国艦隊を攻撃し、陸軍も清軍と衝突。8月1日に日本は清に対して宣戦布告しました。
開戦後は国民の戦意が高まり、議会も軍事費の増額を承認しました。戦費は当時の国家財政の約3倍に相当する大きな額にのぼり、 動員兵力は約17万人にも達しました。近代装備で整備された日本軍は各戦線で清軍を破り、翌年2月には威海衛を占領して北洋艦隊を降伏させました。

かなり気合入ってたんだね
戦局の要点
- 豊島沖海戦などで日本海軍が優勢
- 陸戦でも各地で清軍を撃破
- 威海衛占領で北洋艦隊が降伏(1895年2月)
2. 下関条約(1895)の内容
戦争の結果、両国は講和に向かい、1895年に下関で日清講和条約(下関条約)が締結されました。主な内容は次の通りです。
- 朝鮮の独立承認(清の宗主権の否定)
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲
- 賠償金2億両の支払い
- 沙市・重慶・蘇州・杭州などの開市・開港
特に朝鮮の独立承認は、清の朝鮮における宗主権を否定する大きな国際的変化をもたらしました。
3. 三国干渉と日本の反応(遼東半島の返還)
下関条約で獲得した遼東半島について、ロシア・ドイツ・フランスが連名で中国に返還を勧告しました(三国干渉)。 日本は圧力に屈して遼東半島を返還せざるを得ず、これが国内に大きな屈辱感をもたらしました。
三国干渉後、日本は国力増強の必要性を痛感し、軍備拡張や外交の強化に向かうことになります(いわゆる「臥薪嘗胆」の気運)。

日本は逆境に燃えるタイプだったんだね
4. 台湾の植民地化と統治の始まり
下関条約により台湾が割譲(土地または物の一部をさいて、他にわけ与えること)されると、1895年に一時的に台湾民主国が樹立されるなど抗争が発生しました。 日本は武力で抵抗勢力を鎮圧し、初代台湾総督に樺山資紀を任命して統治を開始しましたが、ゲリラ戦は続きました。
その後、1898年以降に民政局長となった後藤新平の下で土地調査や産業振興が進められ、台湾銀行・台湾製糖会社の創設など 植民地経営の基盤が整えられていきました。

台湾製糖会社は今は製糖業だけでなく、健康食品、バイオテクノロジー、小売業、レジャー産業など多角的な事業を展開しておる

今も頑張ってるんだね
台湾統治のポイント
- 初期は武力鎮圧と治安維持が中心
- 後に土地調査やインフラ整備、産業振興へ移行
- 植民地経営が本格化すると資本や金融の基盤が整備された
5. 戦争の影響とまとめ
日清戦争は日本にとって軍事的勝利であると同時に、国際社会での立場と課題を突きつける転換点でした。下関条約は領土拡張と賠償をもたらしましたが、 三国干渉による遼東半島返還は日本に屈辱を与え、以後の対外政策と軍備増強の契機となりました。台湾の植民地統治は長期的な経済的基盤整備へと移り、 日本の帝国的拡張はここから本格化していきます。
重要語句チェック
- 下関条約(1895):朝鮮独立・遼東半島・台湾割譲・賠償金等
- 三国干渉:ロシア・ドイツ・フランスによる遼東返還要求
- 台湾総督・後藤新平:植民地統治の民政整備を推進
- 臥薪嘗胆:屈辱をばねに国力増強をめざす意識

参考文献
- 大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)
- 新課程 チャート式シリーズ 新日本史(門脇禎二)


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