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第2回:幕末の動揺と尊王攘夷運動の広がり
開国後、日本国内では幕府の外交方針をめぐって対立が深まりました。安政の改革で幕政の立て直しを図った井伊直弼でしたが、条約締結をめぐり激しい反発を受けます。
開国のきっかけと条約の不平等性|ペリー来航から始まる幕末の転換
安政の大獄と桜田門外の変
井伊直弼は天皇の勅許をえないまま日米修好通商条約を結んだため、その外交方針を批判する尊王攘夷派が幕府を攻撃しました。

同様の修好通商条約はイギリス・フランス・ロシア・オランダでも結ばれておる。「安政の五か国条約」といわれておるぞ

アメリカは日本以外の国でも同じことをしたんだね
尊王攘夷とは、「天皇を尊び、外国勢力を排除する」という思想で、幕府の弱腰外交を批判する運動として全国に広がりました。
井伊は尊攘派を厳しく弾圧し、安政の大獄を断行しました。福井藩士の橋本左内や長州藩士の吉田松陰などが処刑され、全国に衝撃が走ります。
しかし1860年、水戸藩の浪士らが井伊を襲撃する桜田門外の変が起こり、幕府の権威は大きく揺らぎました。この事件によって幕府の独裁体制は行き詰まり、以後は朝廷や大名たちと妥協しながら政権を運営することになります。

尊王攘夷運動の広がり
下級武士を中心とする反幕府勢力は、直接行動による倒幕・外国排除を目指しました。
尊王攘夷(直接行動による倒幕・外国排除)
- 水戸:脱藩浪士が幕府要人や外国公使館を襲撃する
- 薩摩:寺田屋事件で尊攘派が粛清される
- 長州:急進派公家と結び、外国船を砲撃(1863年5月)
┗八月十八日の政変で京都から追放される
┗ 禁門の変・長州征討で一時的に幕府に従う

同時期に長州藩は前年の外国船に対する砲撃の報復を受けたのじゃ(四国艦隊下関砲撃事件)

まさに、やられたらやりかえす。幕府側が優勢だね

この時は、じゃがな
雄藩連合の台頭
幕府の権威が低下する中で、薩摩・長州などの雄藩が力を伸ばしました。
- 薩摩:西郷隆盛・大久保利通らが藩政を掌握
- 長州:高杉晋作(奇兵隊)・木戸孝允らが藩政を掌握
- 朝廷:孝明天皇の急死により、岩倉具視らが台頭

なんで幕府の権威が低下したの?

不平等条約の結んだり、井伊直弼の暗殺など政治的な混乱への対応に失敗しておるからじゃ
こうした動きは、のちに薩長同盟を経て、倒幕運動の中心勢力へと発展していきます。
まとめ
幕末の動揺は、開国によって揺らいだ幕府の権威と、尊王攘夷運動の拡大が原因でした。井伊直弼の死後、薩摩や長州を中心に雄藩(経済力や政治力が非常に強かった藩)が力を伸ばし、やがて明治維新へとつながっていきます。
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参考文献
- 一度読んだら忘れない日本史の教科書(山崎圭一)
- 大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)



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