【2025年度 共通テスト日本史B 第3問 問1】弥生時代と東アジアの交流
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第3問問1では、弥生時代の倭人社会と東アジア諸国(楽浪郡・新羅など)との交流に関する史料が出題されています。時代ごとの文化交流や政治的動きを整理しながら、各設問の正誤を確認していきましょう。

時代背景
弥生時代中期(紀元前1世紀ごろ)には、朝鮮半島に漢の武帝が設置した「楽浪郡」を通じて、中国文化が日本列島に伝わり始めました。倭人は鉄器や青銅器、漢鏡などを輸入し、文化的交流が活発になっていきます。

解説たぬき
楽浪郡は朝鮮半島の支配と、東アジアと交流するための拠点として設置されたのじゃ。日本も直接中国に朝貢するのでなく、楽浪郡を通して行われていたぞ
問1の①について
倭人が楽浪郡に使者を派遣していたという記述は、『漢書地理志』にも見られる通り史実です。このことから、当時の倭国がすでに外交的な行動を取っていたことがわかります。
→ よって問1の①は 正文 です。
問1の②について
楽浪郡の土器が九州北部に伝わったという記述は、考古学的にも裏付けがあります。弥生時代中期には朝鮮半島からの渡来人によって技術が伝わり、九州北部では大陸系の土器が出土しています。
→ よって問1の②は 正文 です。
問1の③について
卑弥呼が魏に使者を送ったのは3世紀の出来事であり、弥生時代後期から古墳時代初期にかけての時期です。したがって、これを弥生中期の出来事とする記述は誤りです。
→ よって問1の③は 誤文 です。

問1の④について
新羅が成立するのは4世紀前半であり、弥生時代より後の時期です。そのため、「新羅で作られた馬具が3世紀までに九州北部にもたらされた」という記述は時期的に矛盾しています。
→ よって問1の④は 誤文 です。

解説たぬき
この頃に楽浪郡は高句麗に滅ぼされたんじゃ。さらに高句麗は南下を進めておった

子たぬき
高句麗強いね
まとめ
- ① 倭人が楽浪郡に使者を派遣した → 正文
- ② 楽浪郡の土器が九州北部に伝わった → 正文
- ③ 卑弥呼の使者派遣を弥生中期とする → 誤文
- ④ 新羅の馬具が3世紀に伝来したとする → 誤文
参考文献
- 一度読んだら忘れない日本史の教科書(山崎圭一)
- 大学受験 新標準講義 日本史探求(田中結也)
- 共通テスト過去問研究2026(数学社)
- チャート式 新日本史(門脇禎二)
- 日本史用語集(山川出版社)



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