2025年度 共通テスト 日本史 第1問 問4
第1問問4では19世紀末〜20世紀初頭の国際秩序において、国際連盟には加盟できる国とできない国があった ことについて考えていきます。
試験問題は大学入試センター公式サイトで確認できます。

時代背景と全体の流れ
19世紀後半〜20世紀前半のヨーロッパは列強が勢力拡大を進めた時代です。イギリスは「世界の工場」としての地位を確立し、パクス=ブリタニカ(イギリスの平和)と呼ばれる国際秩序を築きました。

「パクス=ブリタニカ」は古代ローマの「パクス=ロマーナ」(ローマの平和)になぞらえて呼ばれたんじゃ。どちらも平和と繁栄の時代じゃな
しかし20世紀に入り、第一次世界大戦(1914〜1918年)を経て国際連盟が発足し、その後の満州事変やドイツの再軍備などを通じて第二次世界大戦へと向かっていきます。

平和は長くは続かなかったんだね
問4の①:光栄ある孤立と日英同盟
内容:
19世紀後半のイギリスは経済力・海軍力で他国を圧倒し、同盟を結ばない「光栄ある孤立」を続けていました。
しかし20世紀初頭の国際情勢の変化を受け、1902年に日英同盟を締結し孤立政策を転換しました。

同時期にフランスも、ドイツ宰相ビスマルクの策略で孤立していたのじゃ

イギリスと違って、フランスはハブられてたんだね
結論:「光栄ある孤立を堅持していた」とする問4①は 誤文 です。
問4の②:パレスチナ問題と中東戦争
内容:
第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となり、アラブ人とユダヤ人の対立が深まります。第二次世界大戦後、国連の分割案によりイスラエルが建国され、アラブ諸国と衝突して第1次中東戦争が発生しました。
結論:これは 第二次世界大戦後の出来事 であり、問4②は 誤文 です。

問4の③:満州事変と日本の国際連盟脱退
内容:
1931年の柳条湖事件をきっかけに満州事変が起こり、日本は満州国を建国しました。国際連盟の調査(リットン調査団)は満州国を承認せず、日本はこれに反発して1933年に国際連盟を脱退しました。
結論:満州事変と連盟脱退は関連する出来事であり、盧溝橋事件(1937年)は日中戦争への発展で別の段階の出来事です。問4③は 誤文 です。

事変って何?

戦争は国家間の正式な衝突、事変は宣戦布告をともなわない小規模な騒乱じゃな
問4の④:国際連盟の創設とドイツの加盟
内容:
第一次世界大戦後、恒久的な国際平和機構として国際連盟(1920年)が設立されました。発足時、アメリカは不参加、ドイツとソ連は除外されていましたが、1925年のロカルノ条約を経て1926年にドイツが加盟しました。

国際連盟が誕生したのは、第一次世界大戦に疲れた人々の間で平和を求める声が高まったからじゃ
結論:これは「第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発までの時期」に該当する出来事であり、問4④は 正文 です。
年表まとめ
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 19世紀後半 | イギリス、光栄ある孤立政策 |
| 1902年 | 日英同盟締結(孤立政策の終了) |
| 1914〜1918年 | 第一次世界大戦 |
| 1920年 | 国際連盟の創設 |
| 1925〜1926年 | ロカルノ条約・ドイツの加盟 |
| 1931〜1933年 | 満州事変・日本の国際連盟脱退 |
| 1939〜1945年 | 第二次世界大戦 |
| 1948年〜 | 第1次中東戦争(パレスチナ問題) |

まとめ(要点)
- 問4は戦間期(第一次大戦後〜第二次大戦前)の国際秩序の変化を問う問題です。
- イギリスの外交転換(日英同盟締結)、国際連盟の成立、満州事変による日本の連盟脱退、そして中東問題までの流れを押さえましょう。
- それぞれの出来事が「いつ」「なぜ」起きたかを時系列で整理することが大切です。
参考文献
- 『歴史総合・世界史探求 流れと枠組みを整理して理解する』(清水裕子・梶沼和彦)
- 『大学受験 新標準講義 世界史探求』(山口良二)
- 『茂木誠の世界史探求が面白いほどわかる本』
- 『理解しやすい歴史総合』(小牧薫)
- 『2026年版 共通テスト過去問研究』(数学社)
※第1問問5、問6は資料で読み取れるため省略しています
第1問問7はこちら



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