2025年度 共通テスト 日本史 第1問 問3
試験問題は大学入試センター公式サイトで確認できます。
テーマは「19世紀ヨーロッパの自由貿易政策」。
ウィーン体制から自由主義が台頭していく時代の動きを解説します。

時代背景
19世紀前半のヨーロッパでは、ウィーン会議(1814〜15年)によって成立した秩序のもと、保守的な政治体制(ウィーン体制)が続いていました。各国では自由や国民の権利を求める運動が厳しく抑えられていました。

自分の所属する国家に強い愛着を持ち、発展させようとすることをナショナリズムというんじゃ。それを、ウィーン会議の参加者は抑えようとしたんじゃな

国が発展するならいいことじゃないの?

国民国家が形成されるときは、既存の支配者が処刑される可能性が高いんじゃ。みんな、ルイ16世のようになりたくないんじゃよ…
しかし、フランス革命やナポレオン時代を経て広がった自由・民主主義の精神を完全に抑えることはできませんでした。その後、1848年の革命(二月革命・三月革命)をきっかけにウィーン体制は崩壊し、ヨーロッパは新しい自由主義の時代へと進んでいきます。

時代の流れは止められなかったんだね
イギリスの工業化と自由貿易政策
19世紀半ばのイギリスは、産業革命によって工業化に成功し、世界経済の中心的存在となりました。国内では鉄鉱石や石炭を活用して運河や鉄道の建設が進み、生産力・輸送力が大きく向上しました。

イギリスの産業革命は輸入品を国産化しようとするところから始まったんじゃ。綿工業⇒蒸気機関の開発⇒交通へと発展していったぞ
自由貿易政策とは、「国家の干渉をできるだけ排し、貿易を市場原理に任せる」という経済思想です。国家が貿易を制限せず、自由に商品を輸出入できるようにする考え方であり、「国家が船の通行や入港を制限することで貿易を妨げるべきではない」という理念に基づいていました。
穀物法の廃止
穀物法(Corn Laws)とは、ナポレオンの大陸封鎖令が解除されたのち、安価な外国産穀物が大量に流入するのを防ぐために、輸入穀物に高関税を課していた法律です。
この法律は地主階級を保護するための重商主義的制度で、彼らは高い穀物価格を維持することで利益を得ていたため、穀物法を強く支持していました。一方で、工業資本家や都市の労働者は高物価に苦しみ、自由貿易を求める声が高まりました。
その結果、1846年にイギリス政府は穀物法を廃止し、自由貿易体制へと転換します。その後、東インド会社の貿易独占権や航海法も撤廃され、イギリスは「世界の工場」として繁栄の時代を迎えました。

なんで東インド?

東インド会社はヨーロッパ諸国の政府がアジア貿易の独占や植民地経営のために設立した特許会社じゃ。インド貿易やインド統治をやっておったからじゃな

問題の内容
資料として、自由貿易政策の考え方に関する文と、「穀物法(Corn Laws)」廃止の国に関する内容が示されています。
二つを組み合わせて正しい選択肢を選ぶ問題です。
問題の解説
| 設問 | 内容 | 判定 |
|---|---|---|
| ア | 穀物法を廃止した国 → イギリス | ✅ 正しい |
| イ | 自由貿易の考え方 → 国家が貿易を妨げるべきでない | ✅ 正しい |
| 結論 | ①(ア=イギリス、イ=自由貿易の理念) | ✅ 正答 |
まとめ
- ウィーン体制のもとで保守的な秩序が続いたが、自由主義の広がりを止めることはできなかった。
- イギリスは工業化を背景に自由貿易を推進した。
- 1846年の穀物法廃止は、自由主義経済への転換を象徴する出来事である。
- 自由貿易の確立により、イギリスは「世界の工場」と呼ばれる繁栄を迎え、以後の世界経済を主導していくこととなった。

参考文献
- 『理解しやすい歴史総合』(小牧薫)
- 『2026年版 共通テスト 過去問研究』(数学社)
- 『大学受験 新標準講義 世界史探求』(山口良二)



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